赤い髪の女性は大人というより子どもだった。おそらくわたしより4、5歳上。丸い髪形は左右後に分かれ跳ねている。なぜか前髪の上にある髪も角みたいに跳ねていた。
「あたしはギンガ団3人の幹部……じゃなかった。4人いる幹部の1人。その名もマーズ!今よりも素敵な世界を創り出すため色々とがんばってるのになかなか理解されないのよね」
その赤い髪の下から覗かせる顔は笑っていた。ジュンのイタズラッ子な笑みともコウキくんのさわやかなスマイルとは違う。ましてはアキラの見せるふとした笑顔とは似ても似つかない。彼女の笑顔は悪意に満ちていた。いじめっ子の見せる特有の笑顔。トレーナーズスクールでコウキくんにベタベタしていたポニーテールの女の子の笑顔を10倍歪めたようないじわるな顔。赤い髪の女の子に対する私の第一印象は最悪だった。
「……最悪」
それがきつく閉じていたわたしの唇から出た最初の言葉だった。初めて会う人に失礼だけど仕方がない。彼女のさっきの行動と容姿から明らかに敵だとわかる。
「最悪ってさっきの攻撃のこと?卑怯だって言いたいの?公式なトレーナー戦じゃないから不意打ちくらい当たり前……」
「あなたの服のセンス最悪!」
「……はあ?」
マーズの余裕のある笑顔はまぬけな表情に変わった。彼女がラミアにしたことも彼女の変な髪形も彼女のいじわるな微笑みも許せない。だけどわたしが一番気に入らなかったのは彼女の服装だった。ギンガ団の女性の団員はハイネック半そでのワンピースでキャンペーンガールの制服に似ていてまだマシだった。だけどこのマーズという名のハイティーンの着てるワンピースのスカート部分は傘みたいにふくらんでいる。全体的にピタッとフィットしているのにスカートだけふわっとしているのは変だわ!
「なによその制服!なんでスカートがふくらんでるの?その風船みたいなパーツがついてるから?ダッサい!下っ端の女団員の制服のほうがまだマシよっ!あとそのT字型の灰色と銀色の切り替えおかしくない?そのロボートアームを連想させるような長袖とタイツもやめたほうがいいわ!」
「なんですって!あたしは幹部なのよ!この服はあたしがデザインした特注品なのよ!下っ端の団員服がダサいのはわかるけどあたしの制服がそれ以下ですって?ありえないわ!」
「ギンガ団の制服は全部ダサいわよ!この人間印刷機!あなたたちそんな格好してるから、鼻の穴にお金入れてコピーしたいものを目にグリグリ押し付ければ口からプリントが出てくるんじゃない?コンビニにあるコピー機にそっくりよ!」
「に、に、にににに人間印刷機ですって!?」
わたしとマーズは歯を食いしばってにらみあった。ジュンが見たら犬みたいに威嚇しあうなよと言われるくらい怒っていた。
「ふっふっふっふっふ…………愚かな小娘よ」
ライコちゃんのパパの隣りに立っていたおじいさんが立ち上がった。マーズに気を取られていてなんのために発電所に来たのか忘れていた。ライコちゃんのパパはイスにしばられている。薄紫色の髪のおじいさんは猫背でもともと背が高くないのにますます背が低く見える。赤い鼻とうつろな目はまるで薄紫色のカツラを被り、白衣をまとって人に変装しようとしているちょうちんアンコウだった。ギンガ団の制服は着ていないけどマーズの制服以上にみにくいと思った。
「そうよ!プルート!あんたも言ってやって!」
マーズは助け舟が来たと確信してよろこんだ。プルートは一歩踏み出してわたしに反論した。
「甘いな、小娘。わしだったら鼻の穴に小銭、口にお札を入れられるようにして目から立体映像で選択画面が表示されるようにする。スキャナは腹に設置して尻からプリントが出るほうが実用性が高い」
「あんたまで印刷機ネタに乗るなっ!!」
プルートという老人があまりにも変なこだわりを見せたのでマーズがつっこんだ。ライコちゃんもギンガ団の下っ端も対応に困っている。ポケモンたちの頭上には「?」が浮く始末だった。
「ちなみにスキャンする際の音は『ピ~ギュルルル~』だ」
「下痢かよっ!」
さすがにこらえきれなかったのかマーズはついにプルートをどついた。すごい……老人と少女が漫才をしている……。
「キ~~~!!どいつもこいつもバカにして~……あたしの力を見せつけてやる!」
マーズの声に呼応するようにズバットが私たちに向かって飛んできた。わたしはライコちゃんの前に出てキララに指示をした。
「スパーク!」
「リィ~~ンッ!」
キララの黄色い閃光が当たるよりズバットの『噛みつく』のほうが早かった。『噛みつく』のダメージを受けたかわりにキララは至近距離で放った『スパーク』でズバットを仕留めた。
「ちっ。一撃でやられたわ」
マーズは冷めた目でズバットをボールに戻した。その目にポケモンに対する思いやりは派も少しもなかった。
「あたしの手持ちは2匹しかいないけどもう1匹は強いわよ」
マーズはニヤリと笑うと自信満々でボールを投げた。中から出てきたのは灰色と白が入り混じった毛並みの太ったねこだった。
ニャルマーの進化系……?大きくなった耳の先は紫色になりピンク色だったまぶたもアイシャドウの色を変えたように紫色になった。ひげはちぢれて口の形が「w」から「v」を逆さにしたものに変わる。体が大きくなったこともありニャルマーのときより偉そうで貫禄がある。おそらくノーマルタイプだわ。だとしたら少しやっかいだわ。ノーマルタイプのポケモンの弱点は格闘タイプだけど格闘タイプのポケモンなんて持ってないもの。目の前にいるポケモンの名前を調べるために図鑑を向けた。
『Lv.17 ブニャット♀』
ブニャットは低い声で鳴いた。かわいげのない声だった。
「この子が勝ったらあんたが出てって。そのかわりあんたが勝ったらあたしたちギンガ団が消えるわ」
マーズはハッキリと告げた。よっぽどブニャットの強さに自信があるのね。
「ライコちゃんのパパも解放してよ」
「あんたが勝ったらね」
わたしはキララを見た。『かみつく』でHPが3分の1削られたけどまだ戦える。
「キララ!もう一度『スパーク』!」
「『不意打ち』!」
キララが『スパーク』の電気を貯める前にブニャットの爪がキララの胴体を切り裂いた。
「リッ……」
倒れる寸前キララは私を見た。申し訳ない顔をしていた。
「キララ!」
図鑑を見なくてもわかった。キララは瀕死だ。ズバットの戦いでダメージを受けていたけどまさか一撃でやられるなんて……!
「邪魔だからさっさとどけてくれない?早く次のポケモンを出してよ」
わたしはマーズをにらんだ。自分のポケモンじゃないからってそんな言い方はないじゃない!
「ごめんね、キララ……」
瀕死になったキララを直視できずにボールに戻した。キララを初めて瀕死にさせてしまった……。
「ビッパー!行くわよ!」
わたしは次のポケモンを繰り出した。数合わせで連れて来たビッパーだ。またビッパーが瀕死になるかもしれないけど相手は強い。多少の犠牲を覚悟しないと勝てない。せめて少しでも相手にダメージを与えないと!
「ビーップ!」
ビッパーは毛を逆立てた。仲間を倒されて怒っている。
「『転がる』!」
「『不意打ち』!」
早いっ!ビッパーが『転がる』前に『不意打ち』を喰らった。ビッパーのレベルがブニャットより低かったせいか一撃で倒されてしまった。
「さっきの威勢はどうしたの?お譲ちゃん」
「くっ……」
歯を食いしばりながらビッパーを戻した。手持ちは残り4匹。まだ戦える……!
「ランス!」
「ヒッヒーン!」
仲間になったばかりのポニータを戦闘に出した。ソノオタウンへの道のりで既にトレーナー戦は経験している。レベルも15まで育てた。素早さも高い。そう簡単にはやられないはず。
「『火炎車』!」
「『不意打ち』!」
わたしが先に指示したのにブニャットの攻撃のほうが早かった。ランスより早いの?!ランスはブニャットにひっかかれたもののたてがみ代わりの炎の火力を上げ回転しながらブニャットに突っ込んだ。図鑑の警報が鳴り始めた。ランスはなんとか『不意打ち』に耐えた。
「あら、さっきの2匹よりかは使えるじゃない」
「ポケモンをもの扱いしないで!」
反論したけど私の状況は変わらない。なんとかブニャットに一撃喰らわせたけど倒すにはまだ遠い。相手のHPは5分の3ほど残っている。
「ランス!もう一回!」
「眠りなさい!」
マーズが横にした手の平をおでこと胸に当て、片足をバレーのように内側に曲げるとブニャットは『催眠術』を繰り出した。ブニャットの目がランスの目を捉え謎の念波を放つ。『催眠術』が効いたのかランスの体はぐらりと傾いた。
「起きて!ランス!『火炎車』よ!」
「ひっかいて!」
わたしの声に反応してランスは体中に炎を巡らせたけど手遅れだった。『不意打ち』ほどじゃないけどブニャットの爪が確実にランスに留めを指した。
「ざーんねーんでしたー!このままあたしのブニャットでストレート勝ちかなー?」
「そんなことさせない!」
胸の痛みを我慢してランスをボールに戻した。ラミアはズバットに目をやられたからまともに戦えない。セニョールはまだ幼くて弱い。わたしはおでこから流れる汗をぬぐった。こうなったら……。
「出番よ!ナポレオン!」
「ポチャーッ!」
待ってましたとばかりナポレオンは張り切って戦場に出た。ナポレオンのレベルは19。ブニャットより2つ上。相手は一度進化したポケモンだけどこっちのほうがレベルが高いからなんとか倒せるかもしれない。
それにしても手持ちのポケモンが半分もやられるなんて初めて。ヒョウタさんと戦ったときでさえ瀕死になったのは2匹までだったのに。
「あ、かわいい♪あたしほどじゃないけど」
「人間とポケモンでかわいさを比べてどうするのよ?!」
「ポチャポチャー!」
ナポレオンはマーズを手で指した。たぶん自分のほうがかわいいと主張してるんだと思う。どっちもどっちね……。
「『往復ビンタ』!」
「『はたく』のよ!」
ブニャットは肉球のついた前足でナポレオンをビンタしようとした。ナポレオンはそれを『はたく』で迎え撃つ。ポッチャマは陸ではのろいけどそれは主に足のせい。手の動き自体はそこまで遅くない。高速で動く2匹の手。『往復ビンタ』は『はたく』で相殺された。
「『水鉄砲』!」
「『不意打ち』!」
全体的な速さではブニャットに敵わなかった。ナポレオンはブニャットの斬撃で壁までふっとばされた。
「ボチャッ……!」
「ナポレオン!」
図鑑がまた鳴り始めた。
―タランタランタラン……。
自分のポケモンのHPが低いと鳴り出すイヤな警告のベル。
「やーだー。まだ生きてたのぉ?」
冗談なのか本気なのかわからない嫌みったらしい声でマーズはナポレオンをバカにした。
「ブニャッ……ブヒブヒッブッ」
マーズに釣られてブニャットまで笑い出した。ブタとネコが合わさったみたいなかわいくない声。
「ポォ……」
「ん?」
「チャーーーーッ!!」
「ブニッ……」
プライドをキズつけられたのかナポレオンはすごい勢いで『水鉄砲』を口から吐き出した。ピンチになったら水タイプの攻撃力が上がる特性[激流]を発動した。『波乗り』の半分の威力しかないし相手の弱点ではないけどそれなりにダメージを与えたはず。図鑑に表示されるブニャットのHPのゲージは緑からオレンジになった。やっとブニャットのHPを半分以上削れた。
ナポレオンはゼエゼエ息を吐きながらブニャットを見て笑った。しゃべる余裕はないけど「どんなもんだい。ざまあ見ろ!」と言いたげだった。ブニャットは濡れた体を震わせた。水タイプが弱点ではないとはいえねこだから濡れるのは好きじゃないみたい。
「ブニャット」
「ブニャッ」
マーズは自分のポケモンがダメージを受けたのに興味なさそうだった。名前を呼ばれたブニャットは尻尾で体をごそごそすると木の実を出した。
「なっ!?」
青いオレンジみたいな実はオレンの実だ。正直食べてほしくなかった。だってその実を食べるということは回復することだから。ブニャットは木の実を口に放り投げムシャムシャ食べた。
「で、さっきの攻撃がなんだっていうの?」
勝機を掴んだと思った。もしかしたら勝てるかもしれないと。だけどブニャットのHPは回復してしまった。図鑑に表示されているHPのゲージがオレンジから緑色に戻った。そっちがそうくるならこっちは……。
「『不意打ち』!」
「ナポレオン!」
ブニャットが襲いかかってくる前にペットボトルをナポレオンにパスした。ペットボトルの中身は『おいしい水』。ナポレオンは何時間ものどが渇いていたかのように水をがぶ飲みした。
[激流]で『水鉄砲』を打っても大したダメージを与えられないなら『波乗り』に賭けるしかない。
「ブヒッ!?」
ダメージを受ける覚悟で『おいしい水』を渡したけどなぜかブニャットの『不意打ち』は不発だった。
「ちっ」
マーズは舌打ちした。彼女にとっても計算外だったのね。しめた!
「『波乗り』!」
「『不意打ち』!」
「ニャッ!」
「ポチャッ……」
今回の『不意打ち』はナポレオンに当たった。上手くいけばHPがギリギリ残って[激流]の『波乗り』で反撃できるとわたしは踏んだ。祈るようにナポレオンと図鑑を見たけどナポレオンのHPゲージは減っていく一方で止まる気配がない。
「耐えて!ナポレオン!」
「無駄よ。倒れなさい!」
ナポレオンは必死で踏みとどまった。耐えた……!そう思ったけどナポレオンの体がグラついた。
「ナポレオン!」
「ポ……チャ……」
―ドサッ。
倒れた。ナポレオンは瀕死になってしまった。
そんな……ナポレオン……!なにか言いたいけど声が出ない。なにを言えばいいのかもわからない。
「ナ、ナ、ナ……ナポレオーーーーーーン!!」
叫んだらほおが濡れた。ジャマな涙。ナポレオンがよく見えないじゃない。わたしは倒れるようにナポレオンに触れた。ナポレオンは目を開けない。口は開いているけどしゃべる気配がない。
「ナポレオン!ナポレオン!」
「トレーナーさん……」
「ミ~……」
ナポレオンが倒れてしまった。初めて瀕死になった。キララもランスも初めて瀕死になったしビッパーなんて二度目の瀕死を経験した。でも辛い。それ以上に胸が痛い。最初にもらったポケモンだから?一番好きだから?一番信頼していたから?私はナポレオンを抱きしめた。
…………バカだった。ナポレオンがレベル16になってから進化の予兆はあった。だけど進化させないほうが技を早く覚えるからわざと進化させなかった。その結果が私の腕の中で倒れているナポレオンだ。全部私のせいだ。トレーナーのわたしの責任……。
「大袈裟ねー。別に死んだわけじゃないんだから。既に3匹も倒れてんのにそれが1匹増えただけなんだから今さらじゃない?」
殺意を込めてマーズをにらんだ。確かに大袈裟かもしれない。他の3匹よりナポレオンの瀕死を悲しむだなんて……。だけど感情をコントロールできない。悲しくて悔しくてムカついて仕方がない。
「ごめんね……ごめんね、ナポレオン……」
涙と鼻水と格闘しながらナポレオンをボールに戻した。相手と相手のポケモンがムカつく。だけど一番ムカついているのは自分自身に対して。
『ポケモンバトルを……ジムリーダーをなめてもらったら困るな』
ヒョウタさんの言葉が頭に響く。なめてないのに……本気なのに……マーズとブニャットを倒せない……!目と鼻を腕でこすった。わたしが指名する次のポケモンは……。
「……クルル」
「クルーッ!」
ボールを投げずにクルルを開放した。下手に相手に近づかないほうがいい。さっきからブニャットには先手ばかり取られている。ならば先制攻撃で……!
「『電光石火』!」
「『不意打ち』!」
クルルは目にも止まらぬ速さで突っ込んだのにブニャットの爪のほうが先にクルルに当たった。先制攻撃が効かない!?
「クルッ……!?」
クルルはよれよれと私の元へ戻ってきた。翼が傷ついている。……これじゃあ飛べない!『翼で打つ』なんてことやらせたらクルル♪の骨が折れちゃう……。
「あんたのポケモンって遅いわね」
くっ……。
「『砂かけ』!」
「見苦しいわよ!『往復ビンタ』!」
「ニャーー!」
案の定ブニャットのほうが早かった。何回かビンタを喰らう合間にクルルはなんとか廊下にあったほこりや砂をかけたけどやられてしまった。
「ありがとう……」
ふるえる手でクルルを戻した。これでわたしの手持ちは残り2匹。
「……ラミア」
「グォ~」
今まで後ろでじっとしていたラミアが動き出した。廊下を進む振動が足に伝わってくる。
「目の見えないイワークでどう戦うっていうの?」
「わたしがラミアの目になる」
「あっそ…………やってみなさいよ!」
ブニャットはマーズの指差す方向に向かって一直線に跳んだ。
「『ひっかく』!」
「『丸くなる』!」
岩タイプにノーマルタイプの技は効きにくい。それにラミアは体を丸めて防御力を上げてある。ブニャットはかすり傷程度のダメージしか与えられなかった。
「ちっ。防御力だけは高いのね!」
その通りだった。イワークは防御力が桁外れに高いかわりに攻撃力が低い。それにこんな建物の中じゃ得意の『岩落とし』も使えない。
「『催眠術』!」
「『嫌な音』!」
ラミアは尻尾で胴体を弾き不快な音を出した。私は耳を塞いだ。ライコちゃんも引きつった顔で耳を押さえた。セニョールの耳は見えないけど人間のように顔の真横にあるらしい。そこを2つのつぼみで必死で押さえているから。
「キ~~!う・る・さ~~~い!!」
ブニャットの『催眠術』はラミアの『嫌な音』でかき消された。
「斜め右に『体当たり』!」
「イワッ!」
ラミアは尻尾でブニャットを弾いた。頭から攻撃しなかったのは再び目を攻撃されることを恐れているのね。かわいそうに。図鑑に目をやった。再びブニャットのHPを半分まで削れた。
「なめるな!『不意打ち』!」
「『岩砕き』!」
『不意打ち』は避けられないと直感し攻撃を指示した。私のポケモンが唯一覚えている格闘タイプの技、『岩砕き』がブニャットに当たった。ノーマルタイプのブニャットにそれなりに効いたけどラミアが受けたダメージは予想以上に大きかった。HPの3分の1を減らされた。ノーマルタイプの攻撃じゃないの……?
「悪……タイプの技……?」
「ご名答。やっと気がついたのお馬鹿さ~ん?」
マーズは顔を上げて目を私に向けた。明らかにわたしを見下している。
「あとお気づきかもしれないけど先制攻撃だから!」
片目を細くしたと思ったら大きく開いた。恐くて醜い顔。邪悪に満ちている。一瞬ひるんだけどすぐ我に返ってラミアに指示した。
「背中上半身から『体当たり』!」
「『不意打ち』!」
「フシャーーッ!」
「グォオオオ!」
相手の来る方向がわかっても避けられない。『不意打ち』が当たったけどその攻撃のおかげで相手がどこにいるかわかる。『岩砕き』は力を溜めるのに少し時間がかかるから確実に当てるため『体当たり』を指示した。でもあまり効いていない。イワークほどじゃないけどブニャットの防御力は高い。ラミアがあと一撃でやられる。せめてやられるまえに相手に一矢報いらないと……!
「『岩砕き』!」
「だから遅いって」
ブニャットの両前足で切りつける『不意打ち』が決まった。イワークは土砂崩れのような音を立てて倒れた。
「そ、そんな……ラミアまで……」
体中からどっと汗がふきだした。背中は汗でびっしょり。こんなに熱いのに寒気がする。敵の強さと負けたあと起こることが恐い。負けたら私とライコちゃんが出て行く約束だけどただで帰してくれるとは限らない。私の手持ちはもうセニョールしかいない。相手のブニャットは体力が半分しか残ってないとはいえ勝てるの?あんなに強力な技を使うのに。
「ミ~。ミ~~!」
セニョールがわたしのブーツを引っぱった。主張している。「ぼくもたたかう」と。こんな小さな子に頼るしかないだなんて…………。泣きそうになるのをぐっとこらえ、乾いた口から言葉をつむいだ。
「ライコちゃん。私の後ろに隠れて」
「え?」
疑問に思うライコちゃんをよそに彼女をわたしの背中へ押しやった。
「わたしから離れないで…………ここは任せたわ、セニョール」
「ミー!」
セニョールは勇ましく返事をした。今まで見たどの表情より真剣だった。真面目なセニョールは悪事を働くギンガ団を許せないみたい。そんな正義感の強いセニョールはマーズにはおかしく見えたのか笑い出した。
「アッハハハハ!そんなベイビィポケモンで勝てると思ってんの?」
「やってみなきゃわからないでしょ!」
「ミー!」
「ブヒッ!ブヒッブニャッ!」
ブニャットまで釣られて笑った。レベル17対レベル14のセニョール。レベルも能力も相手のほうが上回っている。勝てる自信がないけどそれでも負けるわけにはいかない!
「遊んでおやり、ブニャット!」
「『しびれ粉』!」
ブニャットはフサフサした尻尾の先で『往復ビンタ』を繰り出してきた。
「ミッ!」
「我慢して!」
セニョールは『往復ビンタ』を食らいつつ隙が出来るのを待った。4、5回ビンタされたあとセニョールはつぼみから『しびれ粉』を憎らしい顔をしたねこに吹き付けてやった。
「ブニャッ!」
顔面に『しびれ粉』を浴びせられたブニャットは咳き込んだ。間違いなく麻痺したわ。くしゃみと咳を交互に繰り返したあとブニャットはセニョールを威嚇した。
「ブシャーー!」
「なにやってんの。さっさと攻撃して。『ひっかく』!」
「セニョール!木の実よっ!」
わたしは行く先々で拾った木の実のうち青いのを健気に戦うマタドール(闘牛士)に投げた。ブニャットが先程食べたのと同じオレンの実だ。
「ミッ」
セニョールは木の実をつぼみのついた手で器用に受け取ると一瞬で平らげた。皮を残して。ブニャットが跳びかかってきたけどセニョールはそれをひょいと避けブニャットはオレンの実の皮ですべって転んだ。
「ちょっとー!なにやってんのよ。役立たず!」
「『吸い取る』!」
ブニャットがお腹を出して倒れているうちにセニョールは遠距離からHPを吸い取った。残念だけど思っていたより威力は低かった。威力が20しかないのがいけないのかしら。タイプ一致で少しは威力が増しているまずなんだけど……。
「こざかしいわね。今度こそひっかきなさい!」
「ブニィイイ!」
眉間にしわをよせたブニャットの『ひっかく』が当たった。飼い主と同じように怒ってる。
「ミッ」
「セニョール!」
セニョールがわたしの足元まで転がってきた。HPが半分以上減った。急所に当たったんだ!
「トレーナーさん!スボミーがっ……」
「うっ……」
ライコちゃんがわたしの足にすがりついた。……わかってる。ただでさえ状況が悪いのにもっとひどくなったって。最後のポケモンは今や瀕死の一歩手前。図鑑の警告音が私をあせらせる。やばい……やばいやばいやばいヤバイ!ダメ……負けちゃダメ……。
「言っておくけどあんたなんていつでもやっつけられるんだからね。『不意打ち』の威力見たでしょ?でも一発でやられたらつまんないから遊んであげてるの。優しいでしょ?」
わたしの腕をつかむライコちゃんの手の力が強くなった。
「あなたってひどい!さいあく!」
「ポケモンも持ってないおチビちゃんは黙ってなさい」
ライコちゃんが涙ぐんでいる。頼りにしていたトレーナーがやられかけているんだもの。当然よね。
「大丈夫……大丈夫だから……」
不安をやわらげようとライコちゃんの頭をなでた。だけどわたしの手は震えている。「悪い奴らなんてやっつけてあげる」って言ったのに。
涙をこらえていたらめまいがした。頭がぼうっとする。視界がはっきりしない。フラつくなかギンガ団の下っ端の姿が目に入った。
銀色の制服が目の前で黒く染まっていった。やがてぴったりフィットしていた制服は少しダボダボになり胸に赤い「R」が浮き出てきた。
ダメ…………こんなロケット団みたいな奴らに負けるわけにはいかない……!
「セニョール!」
「ミー!」
ライコちゃんは驚いて手を離した。やられかけているセニョールのどこに大きな声を出す力が残っていたのかわからなかったけどこの際気にしないことにした。しゃがんでセニョールに最後の『おいしい水』を飲ませると私たちは同時に立ち上がった。
「ちっ……諦めの悪い小娘ね。『ひっかく』!」
「これを飲んで!セニョール!」
わたしはカプセルに入ったいくつかの錠剤を取り出した。ブニャットが至近距離に入る前に水色の錠剤の入ったカプセルを開けてセニョールの口に流し込んだ。
「ミ、ミミミミミ~!」
セニョールは足をバタバタさせるとひっかいてきたブニャットを猛スピードで避けた。
「なにっ!?」
「ブニャッ!?」
セニョールは廊下をがむしゃらに走り回った。まるで走るのを止められないみたいに。
「あんたなにしたの?!」
「さあ?」
わたしがさっきセニョールに飲ませたのは『スピーダー』という戦闘用アイテム。これを飲めば素早さが上がる。この効果はそのポケモンが入れ替わるか瀕死になるまで続く。次に選んだのは青い錠剤だった。
「次はこれよっ!」
「『往復ビンタ』!」
セニョールが攻撃を喰らう前に私はカプセルを開けセニョールに向かって投げた。セニョールは開いたカプセルを口で受け止め上を向いて一気に飲み干した。
―パパパン!
ブニャットの『往復ビンタ』がセニョールにヒットした。でもセニョールはケロリとしている。
「ミ~?」
セニョールは不思議そうな顔をした。「それだけ?」ってブニャットに訊いている。今飲ませたのは『ディフェンダー』。防御力が上がる薬。何人かの男の子のトレーナーと戦ったとき「余ってるからあげる」と言われてもらった戦闘用アイテム。まさかこんなところで役に立つだなんて!
「キ~~~!強気になっちゃって!そんなの『不意打ち』を喰らいたいの?!」
「やれるならやってみなさいよ。『不意打ち』」
「ぐっ……」
わたしは確信していた。もうブニャットは『不意打ち』を使えない。威力が高くて先制攻撃できる『不意打ち』。だけどこの強力な攻撃は2回くらい外れた。きっと発動するには条件がある。相手のポケモンが攻撃しようとしているときにしか当たらない。だってナポレオンのHPを回復させてるときは隙だらけだったのに不発だったのよ?強力でトリッキーな技には副作用や条件がある。それにさっきまであんなに『不意打ち』を使っていたのにセニョール相手に使ってくる気配はない。きっとあんなに威力の高い技、そう何発も打てないんだわ!もう10回は使ったからこれ以上『不意打ち』できないのよ!
「そんなハッタリ、もう通用しないわ!」
最後のカプセルの中身をぶちまけた。赤い錠剤が宙に舞う。セニョールはそれらを一粒一粒緑色の光で捕らえて自分の口へと運んだ。『吸い取る』は本当に役に立つ技だわ。攻撃力が上がる『プラスパワー』を一粒残らず飲むことができた。
「『居合い切り』!」
セニョールは2つのつぼみに力を込めてブニャットを横から斜めに切った。ラミアの『嫌な音』を聞いたブニャットのことだわ。防御力が低くなったはず。『居合い切り』をもろに喰らったブニャットだけどまだ倒れない。手ごたえはあったけどブニャットを倒すには不十分だった。くっ……まずい……反撃される!
「残念!そんな一時的なドーピングじゃぱわー不足よっ!」
「ブニャーーッ!」
ブニャットはセニョールめがけて爪を立てた。ところがセニョールが目の前にいるにもかかわらず『ひっかく』は大きく空振りした。
「なにっ!?」
セニョールが避けた…………いや、ブニャットが外したのね!クルルの『砂かけ』のおかげだわ!今までブニャットの攻撃が何回か当たらなかったのも『砂かけ』が効いていたからね!
「ミーーーッ!」
セニョールは反対側に回り込むとつぼみの生えた腕を頑丈に絡ませた。
―ズシャッ……。
セニョールの渾身の一撃が放たれた。ブニャットはうめき声を上げることさえできずに横に倒れた。
うそ…………すごい……!
「まさか!負けるだなんて!?」
マーズは座り込んだ。……勝った!本当にわたし勝ったんだ!
「やったわ!セニョール!ブニャットを倒したわ!」
「ミ~~~♪」
セニョールはぴょんぴょん跳ねた。5匹の仇を討てたんだもの。うれしくてうれしくて仕方ないんだわ!
「ありがとう!セニョール!」
「ミーー♪」
セニョールが胸の中に飛び込んできた。わたしは小さな英雄をしっかり両腕で抱きとめた。
「さあ。やくそく通りここから出てってもらうわよ!」
「出てって!」
ライコちゃんも強気になった。敗者は潔く去ってほしいわ!
「おやおや。子どもに負けるとはの」
今まで勝負を観戦していただけの老人がマーズへ歩み寄った。今度はこの老人が挑んでくるんじゃないかと警戒したけど老人の腰にも白衣のポケットにもボールは入っていなかった。
「……まあいいさ。電気はたっぷり頂いた。これだけあれば相当すごいことが出来るはず。ボスに認められるほどの天才プルートにはわかるよ。さあさ、マーズや。ここはひきあげるとしよう」
「ウルサイわね!あたしに命令していいのはこの世界でボスただ1人なの!最近仲間になったくせに偉そうにしないでよね!」
わたしは2人を見守った。下っ端の団員たちはどうすればいいかわからず幹部の命令に従うしかない。私は一刻も早くこの2人と残りのギンガ団が去ることを願った。
「じゃ、あたしたちはひとまずバイバイしちゃうから……と、そのまえに」
マーズはブニャットのお腹に一蹴り入れた。ブニャットは辛そうにブヒッと鳴いた。なんてことを……!
「役立たずのポケモンはボールに戻して……あたし自身の手であんたを成敗しちゃう!」
私は身構えた。団員たちが私たちの周りを囲みはじめる。わたしはライコちゃんと後ろへ下がったけど背中に壁に当たる。左には窓があるけどここは2階。飛び降りたらケガしちゃう……。セニョールがわたしたちの前に立って威嚇した。
「ミィーーッ!」
「そんなベイビィポケモンじゃあたしたちに敵わないわよ」
マーズは鼻で笑うと視線を私に向けた。
「それにしてもあんたってムカつくのよね。今はまだあたしのほうがかわいいけど将来あたしのライバルになりそう。今のうちに台無しにしておくわ」
「やめろ!その子たちに触るな!」
奥の部屋から声がした。ライコちゃんのパパだ。だけどイスに縛られたままだからどうすることもできない。
「見せしめにあんたの娘も殴ってやるわ」
「やめろ!ライコーーー!!」
「パパーー!!」
わたしはライコちゃんを壁際に寄せて抱きしめた。せめてライコちゃんだけでもキズつけないように。もうすぐ襲ってくるであろう痛みを覚悟して目をつぶったその刹那……。
―パリーン!
窓が割れた。ガラスの破片が辺りに散らばる。顔を向けてないからわからないけど紺色のエネルギー球体が横を通り過ぎた。エネルギーは壁に当たって弾けるとその場に振動が広がった。反対側の壁に当たったはずなのに肌がピリピリする。振動が体内に伝わるくらいだった。
『………かっ!……っ……!…………る!』
誰かの声が聞こえた気がした。でもよく聞こえない。
「な、なに!?」
マーズの焦った声が聞こえる。ギンガ団の間でどよめきが走る。
「ポピ~」
窓から紫色の風船みたいなポケモンが次々と出てくる。なにこのポケモン?助けてくれるの……?
フワンテと呼ばれたポケモンたちで廊下は次第にいっぱいになっていく。発電所はハプニングの連続だ。最初はムックル、その次はイワーク、三番目の発電所のパニックはフワンテによって起こされた。
「ちっ。今回は見逃してあげる!覚えてなさいっ!」
マーズが撤退を宣言するとギンガ団は去っていった。フワンテたちにあちこち突っつかれながら。
「ライコっ!そこの君!大丈夫かいっ?」
「パパ~~!」
ライコちゃんとパパは抱き合った。感動の親子の再会だった。ライコちゃんは今まで我慢していた涙を解放するように泣きはじめた。どうやらフワンテたちがライコちゃんのパパを縛っていた縄をほどいてくれたみたい。わたしは2人の親子の邪魔にならないように発電所をそっと出た。