目の前にあるのは都会にしてはめずらしい木造の建物。隣りには『トレーナーズスクール トレーナーの第一歩!』と書かれた看板がある。
「トレーナーズスクールって便利ですよ。以前通っていたんですけど、ポケモンの基礎知識を教えてくれるだけでなく旅のトレーナーも泊めてくれるんですよ」
「便利だね」
私たちはトレーナーズスクールの入り口を通った。すぐ横には階段がある。コウキくんは受付の人に軽く挨拶すると階段に向かった。
「ジュンも昨夜はここに泊まったのかもしれませんね。ここの経営者は父の学生時代の知り合いなんですよ」
「へ~。すご~い」
やっぱり高学歴は違うな~。感心しながら2階に上がった。フタバタウンには塾なんてない。正直塾がどういうものか正直気になる。
「1階は一般の塾生徒用です。2階はエリートトレーナー養成クラスです。エリートトレーナー養成クラスはいわば小学6年生しかいない少人数の学校です。普通の学校と同じ授業を教えていますが、ポケモンの授業に1番力を入れています」
「本格的ね!」
「はい」
いいなぁ……もしフタバタウンにあったら私も通ってたのに。2階は1階と同じようにいくつか教室があった。コウキくんは1番さわがしいクラスのドアノブに手をかけた。変なおじさんと会って予想以上に時間がかかったけど、やっとトレーナーズスクールに入れた。ポケモンたちは疲れていたのでボールに閉まっておいた。もう1時過ぎてるし早く荷物置いてご飯食べた~い。
―ガチャッ。
「なんだってんだよー!」
ドアを開けたと同時にその声は聞こえてきた。うっ。この声。この口癖。まさか……。声の持ち主の姿は見えない。黒板の前のほうの席に同年代の子の人だかりがあるけど、たぶんその中心にいるんだと思う。
「なんだってオレがテストで40点取るんだよ?ありえねーよ!」
「まあまあ、模擬試験だし」
「超初心者にしては悪くないと思うぜ?」
―ドンッ。
机をたたく音が聞こえた。
「ちきしょう!オレは体育しか取り柄がねーのかよ!」
クラス中がどっと笑った。あ~あ。ジュンだ。絶対ジュンだ。探す手間が省けたわ。見つかったのはいいけど、今クラスで笑いものにされているジュンにはあまり近づきたくないなぁ……。だってわたしまでバカだと思われちゃうもん。どうしようかと迷っていたらコウキくんが1歩前に出た。
「どうかいたしましたか、みなさん?」
みんなはいっせいに振り向いた。ドアを開けた音とジュンの叫び声が同時だったから、気づかなかったんだわ。みんなはコウキくんを見たとたん、コウキくんのほうに寄ってきた。……特に女の子が。むぅ~。妬けちゃう。それだけでも嫌なのに故意か事故か、女の子に押しのけられた。もうっ!
「キャーー!コウキくーん♡」
「コウキ!久しぶりじゃん!」
「元気にしてたー?」
「ポケモンバトルしようぜ!」
「わたしに会いにきてくれたの?」
「またここに通ってー♡」
次々に発せられる好意的な言葉。わたしはただ後ろでその様子を見守っていた。コウキくんは人気者だ。アキコちゃんによると、女の子には誰でも優しいらしい。もしかして……わたし以外の女の子にも甘い言葉をささやいていたの?そう考えると胸が痛くなった。わたしはコウキくんのことをまだよく知らない。十分ありえる。
一瞬視界がぼやけてバランスを失いかけた。ふらついた足元にぐっと力をこめる。めまい?お腹が空いたせいかしら。居心地が悪かったから黒板のそばにある窓に近づいた。荷物はその辺に適当に置いてきた。風に当たれば少しはよくなるかも。重いか軽いかわからない足取りで歩いていたら誰かに腕をつかまれた。
「おっ!ヒカリ!おまえも勉強か?」
腕をつかんだのはジュンだった。机に座ったままこっちを見ている。コウキくんのほうに気をとられて忘れていた。
「う、うん……」
周りを見渡した。あちこちに生徒がいたけど、ほとんどコウキくんのほうに集まっていた。先生はどこにも見当たらない。
「先生は?」
「もういないぞ。テストやったらさっさと帰ちまった。始業式からいきなり授業してテストするなんてひどいよな~。ポケモンの授業だったからいいけどさ」
うわっ。さすがエリートクラス。初日から授業とテストがあるんだ…。
「オレなんかポケモンのタイプと相性全部覚えたぜ!……そこしか覚えてなかったからテストではわりぃ点取っちまったけど」
ジュンは頭をかいた。40点か……。普段の学校の成績よりマシだから努力したほうだと思う。私は軽く息をついた。
「昨日ポケモントレーナーになったばっかりなんでしょ?それにしては良いほうじゃない」
「そうか?」
「うん」
ジュンの顔が電球みたいに明るくなった。本当に行動も機嫌もころころ変わるんだから。
「でもなあ、自分の大事なポケモン傷つけたりしないためにがんばるのがトレーナーだからさ。もっとがんばらなきゃな」
「そうだね」
ふ~ん。ジュン、少しは成長したな。幼なじみの成長は素直にうれしい。異性としてはあまり興味ないけど。
「勉強は嫌いだけどポケモンのことなら歓迎だぜ!ヒカリは黒板に書かれてること覚えたのか?」
わたしは黒板を見た。ざっと見たところテストの復習みたいだ。ポケモンのタイプ、相性、状態異常、道具について書かれてある。これさえ覚えれば戦況はまるわかりといった感じにまとめられていた。
「もう知ってるから覚える必要ないわ」
「そっかー……って、ええーーー!?」
頭をかたむけたと思ったら即座に顔をしかめてこっちを見た。ジュンのような百面相だと顔の筋肉が忙しいわね。
「いつ覚えたんだよ!フタバタウンにはポケモン教えてくれる人いないじゃん!オレの父ちゃんはめったに帰ってこないし」
ポケモンは奥が深い。確かに普通の学校ではポケモンを授業では扱っていない。フタバタウンのような田舎町ならなおさらだ。だからこそポケモントレーナーになりたい人はこういう塾に通う。
「昔アキラからもらったポケモンの教科書で勉強したの。基礎知識は全部暗記したわ」
「アキラかよ……」
ジュンは舌打ちした。ジュンもアキラと面識がある。だけどアキラの切れ長の目と黒い服のせいでジュンはアキラを不審者扱いしていた。しかもアキラをこわがって3mくらい離れたところで隠れて監視していた。わたしにもアキラにもバレバレだったけど。
「まだあんなやつのことを覚えていたのかよ。今頃あいつおまえのことなんて忘れてるよ」
むっ。そんなことないもん!!
「余計なお世話よ。それよりハイッ。これ」
話題を変えるため半ば無理やり忘れ物をジュンの胸に押し付けた。例のジュンママから預かった封筒だ。
「なんだこれ……?」
ジュンは封筒を開けた。中には三つ折りされた地図が入っていた。ジュンは地図とは知らずに折られた紙をカサカサ開いた。
「おっ♪やった!タウンマップ!」
地図には上の角が出っ張っているいびつな六角形みたいな島が印刷されていた。ニホンの北側の先っぽにある島、それがシンオウ地方だ。地図かぁ……。いいなぁ、わたしもあとで買おっかな。
「サンキュー☆…って二つも入ってる!?」
わたしは反応した。ほしい……!方向音痴なせいか地図があると安心する。たとえシンオウの全体地図でもないよりかはマシだ。
「うーん。2つあってもなー。いいや。ヒカリ、これやるよ」
「ありがとう」
やったー♪地図ゲットー!でもこれだけじゃ不安だなぁ……。
「ねえ、ジュン」
「なんだ?」
「シンオウ地方の町・道路・森・洞窟・水路、ありとあらゆる場所の詳しいルートが描かれてある地図も同封されてないかしら?」
ジュンは目をパチクリさせた。
「さすがにそれは無理だろ」
「だよね………」
さすがに欲張っちゃいけないわね。詳しい地図は道中で手に入れるしかないか。
「えーーっ!コウキくんお昼まだなのー!?」
コウキくんがいる場所で女の子の1人が大きな声を上げた。
「ええ、ちょっと忙しくて……」
「一緒にご飯食べに行くー?」
「ダメー!コウキくんはわたしと食べに行くの!」
「お弁当余ってるけど食べない?」
「私が今からここで作ってあげる♡」
む~~。コウキくんが逆ナンされている様子を見て胃がムカムカしてきた。ただ単純にお腹が空いたわけじゃないと思う。ああ、これがやきもちなのね…。コウキくんのことが好きかどうかまだわからないけど、他の女の子に取られるのはいやだな……。ジュンはわたしの気持ちを知らずにのんきに話しかけてきた。
「モテモテだな~。あんなやつほっといて飯でも食いに行こうぜ、ヒカリ」
こういうときジュンと話すと気がまぎれる。迷惑だけど、やっぱりいい人。
「……まだ食べてなかったの?」
「テストの直前まで勉強してたんだ!」
「えらいね」
胸を張って話すジュンを見て笑った。いつも無茶するんだから。
「それでさー、オレ安くてうまそうな店見つけたんだぜ!たしかマグ……」
店の名前を言いかけてジュンは黙った。うきうきした顔が丸い粘土をつぶすようにしかめっ面になった。どうしたのかしら?ジュンの視線を追うとその先にはコウキくんがいた。わたしたちに向かって歩いてくる。
「すみません、ヒカリさん。だいぶ待たせてしまって。では約束通り食事に行きましょうか」
「えっ」
―きゅん♡
胸に小さな炎が灯った。他の女の子たちに誘われたけど、わたしのために全部断ってくれたんだ。うれしい……!
「あっ……うん!」
コウキくんに返事したあと、ジュンのほうを向いた。
「ごめんね、ジュン。コウキくんと先に約束してたの」
ジュンの右のまゆげがぴくっと動いた。見るからに不機嫌そう。
「また今度ね」
コウキくんに誘われて本当はうれしかったけど、ジュンの前では少し残念そうな顔をした。ジュンに背中を向けた直後ジュンはつぶやいた。
「オレも行く」
急に周りが静かになった。クラスに緊張が走る。きっと氷ポケモンが攻撃技の『凍える風』を使ったらこんなふうにひんやりするのかも。コウキくんは小さなため息をつくとジュンに言った。
「……残念ながらそれはできません」
「なんでだよ?」
目をつり上げながらジュンは訊いた。私はコウキくんとジュンを交互に見た。二人の間からただならぬ空気が流れている。その中心にいるわたしはきまずい思いをしていた。恋のときめきとは違う感覚で息苦しい。
「それはぼくたちはこれから高級フランス料理を食べに行くからです」
あ、もうお店は決めてくれたんだ。
「……予約はしたのかよ」
「ええ、もちろん」
コウキくんがさわやかに笑ったにもかかわらず、緊張は解けなかった。……ん?いつ予約したの?もしかして私が気絶してるあいだ?……だとしたら用意周到だな。
「今さら人数を変えられません。残念ですが、また次の機会に。それでは、もうすぐ予約した時間になるので失礼します」
コウキくんは私の手を優しく取った。ドアの前までくると、帽子を取ってみんなに一礼した。
「それではみなさん、AU REVOIR(オ・ルヴワール)」
コウキくんはドアを閉めた。わたしと手を繋いだままで。